神々の歳時記     小池淳一
      

2009年3月20日
【8】十三参りと虚空蔵菩薩

 十三参りとは、智恵詣とも言われ、智恵の仏であるところの虚空蔵菩薩に参詣して、広大無辺、あたかも虚空のごとき智恵を授けてもらおうとする行事である。
 虚空蔵菩薩の縁日は十三日で、三月から五月にかけての毎月十三日は、参詣者で境内は大賑わいとなる。関西ではとりわけ京都嵐山の法輪寺が名高い。この寺の十三参りは、子どもたちが、初めて本裁ちの着物を来て参詣するところから、俗に「衣装比べ」と受け取るむきもあったようである。親たちにとっては長年の養育によってようやく大人びた横顔を見せるようになった子どもの姿は感慨深いものがあっただろう。
 虚空蔵菩薩という仏は、それほど日常的ではないかもしれないが、人間の成長の過程で、この仏がつかさどるとされる福徳に期待することは多い。まず、十三歳という年は、大人への入り口であり、最初の厄年と考える場合もあった。また虚空蔵菩薩は智恵をつかさどるということから、就学、進学にあたってこの仏の加護を期待するのはもっともであろう。さらに開運や授福の御利益も忘れてはならない。いわば、この世における幸福につながるさまざまな要素と深い結びつきをこの仏は持っているのである。
 十三参りが行われる寺院は全国に少なくないが、俗に三大虚空蔵と言われて、多くの参詣者が集まるのは、先に述べた京都の法輪寺に加えて、茨城県東海村の虚空蔵堂、福島県柳津町の円蔵寺である。
 東海村の虚空蔵堂はかつては日高寺と称し、真言宗に属していた。日光寺と書いていた時期もあったらしい。柳津の円蔵寺は弘法大師が中国から持ち帰った霊木が只見川に流れていたのを土地の者が拾い上げたのがきっかけとなって刻まれた虚空蔵菩薩を本尊とするという縁起がある。こうした由来や縁起には真言宗が地方に広がっていく過程が投影されている。
 虚空蔵菩薩信仰の体系的な考察を民俗行事にも注意しながら進めた佐野賢治は、この信仰の流布と展開には修験者が関わる場合が多かったことを指摘している(『虚空蔵菩薩信仰の研究』、一九九六年)。特に山形県置賜地方をはじめとする地域では「高い山」と呼ばれる行事があって、盆地を取り囲む小高い山に春先に登ると運が開けるなどと言っていたことに注意を促している。これは、このあたりの修験、すなわち山伏たちが、虚空蔵菩薩の信仰に民俗的な山の神や田の神の信仰を重ねたものと考えられる。季節の移り変わりに即した素朴な民俗的信仰と異国からもたらされた仏教の菩薩との出会いと融合の姿なのである。
 こうした仏教の日本的な展開と、民俗信仰のさまざまな要素がどのように関係するかを考える視点を仏教民俗学と称するが、虚空蔵菩薩信仰はその代表的な例である。
 このことは民俗研究上の大きな問題であるとともに、仏教と民衆との接点を葬儀などのいわゆる葬式仏教としてのみとらえることの限界を示してもいるだろう。


  石段にかゝぐる袂智恵詣   阿部蒼波






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