神々の歳時記     小池淳一
      

2009年4月20日
【11】牛と釈迦如来像

 今年は丑年であって、昨年末から今年の年頭にかけては牛に関する話題が何かと取り沙汰されたが、春が深まるにつれて、もう忘れられてしまったようだ。仏教では、牛は大日如来を結びつけられていることが多く、馬が多く観音菩薩と結びつけられているのと好対照をなしている。
 牛は交通、運搬に使役される時代が長く続いたことからか、あるいは日常の生活の中で身近な存在であったためか、寺院にまつわる伝説、縁起の類に登場することも多い。有名な「牛に引かれて善光寺参り」のような話はその代表と言えるだろう。
 京都市右京区の清凉寺の釈迦如来像にも牛にまつわる縁起が伝えられている。『嵯峨清凉寺釈迦如来牛皮華鬘縁起』によると、堀河天皇の准母であった安嘉門院の母が牛に生まれ変わって材木を引いていることが夢告によって明らかになった。安嘉門院はその牛を材木を引く作業から解放したが、再び釈迦如来が夢に現れてこう告げたという。
 「牛に生まれては其宿業を果し償ふてこそ其報尽て解脱をも得へけれ然るに汝母を孝養する思にて好食をあたへ養ひなばかへりて彼が罪まさりて畜身を離るゝ事難かるへし」(略縁起研究会編『略縁起 資料と研究1』、一九九六年)。前世の業をつぐなうためには、母の生まれ変わりと分かっていても、牛として扱わなければならない、というのが釈迦の宣告であった。そこで仕方なく、また材木を引く身に戻された牛はやがて死んでしまった。その牛の皮で太鼓を作り、あるいは額の部分の皮では華鬘を作り、牛の姿を描いて本尊の厨子の前にかけることにしたという。毎年三月十九日に「御身拭」の法会が行われるのは、この牛が死んだのがこの日であるといういわれによる。現在のように四月十九日に行われるようになったのは明治以降の改変らしい。
 「御身拭」というのは清凉寺の本尊である釈迦如来像を香湯に浸した布で拭い清める儀式であるが、この布をいただき、経帷子にすると極楽往生できるという信仰があり、多くの信者が参詣することとなっている。もともとこの釈迦如来像は東大寺の「然(ちょうねん)が宋から大蔵経とともに持ち伝えたものであった。それだけでもありがたいのに、さらにこの釈迦像はもともとは遠くインドで生身の釈迦の生き写しとして作られたものであった。この像を「生身釈迦」とも言うのはそうした事情を示している。
 日本に渡ってきてからは、この清凉寺式の釈迦如来像が数多く模刻され、彫刻の歴史のなかでも一つのジャンルとなっている。この釈迦像を拝むことは遠くインドの釈迦を身近に感じることであった。ましてその身に触れた布には往生への大きな力が宿っているとされたのは自然なことであっただろう。
 清凉寺に参詣する人びとは、貴賎を問わず、来世の安楽を願い、往生を祈った。そこには牛に生まれ変わる苦しみとそこからの解放を約束してくれる教えが、具体的なかたちで現れている。生活のなかの動物と仏教の教え、そしてその創始者であるところの釈迦の姿が「御身拭」のなかには集約されているのである。これは仏教が日本に根づいていく過程のひとこまでもあった。


  お身拭ふさ中も絶えず詣で人   富岡犀川





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