神々の歳時記     小池淳一
      

2009年4月30日
【12】登山の原像

 山に宿る神霊は簡明に「山の神」と呼ばれることが多いが、その性格は実に多様である。これまでに明らかにされてきた山の神の性質のうち、興味深いのは、季節によって山の神は移動するという考え方が、全国各地にかなり広く存在することである。すなわち、山の神は冬の間、山に宿っているが、春になると田に降りてきて、田の神となり、秋の収穫が終わると再び山に戻っていく、というのである。
 こうした伝承にはもちろん地域ごとにバリエーションがあって、九州では山ワロという妖怪が春になると山から下りてきて川ワロ、すなわち河童となり、秋が深まるとまた山に帰っていくと言うし、東北では農神さまが天に登り、雪神さまと交代するのだ、などと言うところもある。実際の神霊の移動が目に見えるわけではないから、季節の推移や働く場所の変化によって、われわれ人間を見守ってくれるはずの神霊も移動してくれるに違いないといった信頼が、こうした感覚の奥底にあるものと思われる。
 山の宿るとされる神霊はつまるところ、そうした人間生活の反映であるともいえるだろう。ただ、こうした日常の生活の投影としてとらえるだけでは、充分に説明できない性質も伝えられている場合がある。
 そうした問題のひとつとして、南奥羽地方の福島県や山形県の里に程近い山をハヤマと称することが注意されている。これは漢字を端山、葉山などとあてることがあるが、広く普通名詞として用いられて生活のなかにとけ込んでいる。先に述べた田と山とを行き来する神霊が宿るのは峻厳な高峰ではなく、こうした里を望むことができる小高い場所であった。そしてその神霊は山の神や田の神という性格だけではなく、この里にかつて暮らした先祖の人々の魂が浄化されて山に宿っているのだと解されていた。つまり、ハヤマは生者だけのものではなく、あの世との交流の場であり、祖霊の宿る場所でもあった。
 こうした死者の記憶と山とが結びつき、やがては深山の玄妙な地に「この世」の地獄を想定するようになっていく。そこには山を生活の場とするよりも、修行の場としてきた僧侶や山伏の活躍があった。山の奥深くまで分け入ることはそうした宗教的な情熱を持つものでなければ必要ないことであったろう。
 ハヤマの信仰を包括的に調査し、検討を加えた岩崎敏夫は、そうしたプロセスが、四月八日を縁日とする薬師如来への信仰と重なり合っていることを指摘している。福島県の阿武隈山系のハヤマや岩手県の葉山もしくは羽山と呼ばれる山々には多く薬師如来が祀られているのである(「東北のハヤマとモリノヤマの考察」『東北民間信仰の研究(上巻)』、一九七二年)。そして春先の一定の時期になると、里の人びとは仕事を休み、わざわざこうした山に登ることを繰り返してきた。ハヤマ周辺にはそうした山遊びを目的とする行事が、かつては伝えられていたのである。日本の登山とはそうした信仰にもとづく行為であって、決してスポーツではなかった。そこには、春の訪れとともに、一年の生活の安寧を祈り、作物の豊かな稔りを期待する感情が伴っていたのである。


  苗代の種のままなる登山口   野尻遊星






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