神々の歳時記     小池淳一
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2009年5月30日
【15】六月の氷と雪

 汗ばむ陽気になり、毛糸で編んだ衣服などは箪笥の奥にしまい込む季節となった。そうした時期に氷や雪にまつわる故実や伝承があることは日本の年中行事の性質を考える上で面白いことだと思われる。
 旧暦の六月一日を氷の朔日とか氷室の節供というのは、かつて宮中で氷室の氷を下賜する行事があったことによる。江戸幕府でもこの日に諸大名が将軍に氷餅を献上することとなっていたという。宮中や武家の儀礼としても長い伝統がある。
 一方、各地に伝えられてきた六月一日の行事は、北陸では「鬼の牙」とか「鬼朔日」などと称し、正月の期間に搗いた餅をとっておいて、固くなったものをこの日に食べるというものであった。正月が再び訪れるというか、半年の時間が過ぎたところで、年頭の節目を想起する行事ということになる。山陰ではこの日を「麦神楽」といい、麦の収穫を意識していたらしい。行事と農耕とのかかわりの観点からは麦の収穫を感謝する意味合いもあったようである。
 ユニークなのは岩手をはじめとする東北地方一帯で「剥け節供」と言って蛇が皮を脱ぐ日だとか、人間の皮も剥け替わる日であると言われていたことである。これは衣替えの比喩ともとらえることができるだろうが、生命力の更新の感覚がこの日に集約されているとすれば、かなり重要な節目であったということにもなる。
 六月一日の朝に家の前で火を焚き、家族がその火にあたると病気にかからないといった行事がかつては埼玉県で行われていた。これを「尻あぶり」などといった。東松山市の岩殿観音の周辺では、昔、坂上田村麻呂が悪龍を退治するために観音に祈願したところ、雪が降り、それにより龍の居場所を知って討ち取ることができたという。そして不意の大雪のために凍える兵士たちを暖めるためにこの日に日を焚くようになったのだと言われていた。
 この伝説を分析した常光徹は、行事の起源が英雄の活躍の記憶に結びついていることを語り伝えることで、歴史を追体験し、地域の人びとの連帯感を深める意味合いがあっただろうと指摘している(「伝説と年中行事―田村麻呂の悪竜退治をめぐって―」『学校の怪談―口承文芸の展開と位相―』、一九九三年)。
 雪や氷はどうしても冬を思い出させる。その冬の中に新しい年が訪れ、新たな時間が始まる。半年が過ぎてそうした記憶が薄れかけた時に、行事として氷や雪を意識して思い出すわけで、そこには氷や雪の白さ、清新さに、なにがしかの力のようなものを感じていた名残もあるように思われる。
 アイスクリームやシャーベットといった氷菓子を手軽に賞味しながら、こうした年中行事の不思議さに想いを馳せる時間があってもよいだろう。


  氷室守清き草履の裏を干す    前田普羅




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