神々の歳時記     小池淳一
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2009年6月20日
【17】牛頭天王と河童

 本格的な夏を迎えようとする時期に神社などでは祓いの行事が行われる。日々の暮らしのなかでいつの間にか染みついたさまざまな悪しき事柄を清め祓って、健全な心身を取り戻そうとする行為である。そこには日常の迷いや悩みさえも消し去りたいという感情が込められる場合もあるだろう。
 一般に水の力で清めることを(みそぎ)といい、それ以外に人形などの形代(かたしろ)などを用いるものを祓と称するようである。さらに疫病などの流行を押さえてくれる神仏への祈願も盛んに行われるのもこの時期の特長と言えるだろう。
 青森県八戸市を流れる馬淵(まべち)川と新井田(にいだ)川の周辺では、メドチと呼ばれる河童の伝承がさまざまなかたちで語られていた。なかでも昭和十一年八月十五日から二十二日にかけて地元新聞『奥南新報』に掲載された神代(かこみ)渓水の「めどつの話」ではこの地方の河童が「天王様の子で年神様の兄である」と言われていたことを記録しており興味深い。
 天王様というのは牛頭天王をさし、京都の八坂や愛知の津島に祀られている病除けに霊験あらたかとされてきた神のことであろうし、年神というのは正月になると迎えられる神霊である。これらの神々と河童とが、どうして結びつけられるのかが問題となる。神代の報告によれば、年神は末っ子であまりのさばるので、正月にだけ祀られるようになり、メドチはずるいので天王様に川に投げられて、それから川に住むようになった、という。なにやら人間の家族めいた説明がなされていたのも面白いが、両者の上位に牛頭天王を位置づけていることから、これらの神霊を統御する力を牛頭天王に期待していたことがうかがえる。
 メドチはキュウリが好きで、この地方では、初なりのキュウリはメドチに供えるとして、川や堰に投げ入れることになっていた。その次に天王様に供えて、最後に人間たちが口にしたという。投げ込むというのはずいぶん荒っぽい行為のようだが、自然のなかに宿る神霊に対する敬意の表明のしかたが変化し、残ったものであったのかもしれない。
 供物が共通していることも、牛頭天王と河童との間に何らかの親縁関係を考えるようになった理由であろう。また河童が妖怪視されるようになる以前は、水の神としての要素があったことがこれまでも繰り返し指摘されている。禊や祓によって疫病の流行を鎮める神と素朴な水の神霊とが結びつき、その際に具体的な祭りや社殿を持ち、信仰を広める人びとがいた牛頭天王の方が、自然神の展開である河童よりも上位のものと捉えられるようになっていったのではないだろうか。「河童は天王様の子」という不思議な伝承は、こうした民俗世界の神々が歩んできた道筋を考える糸口と言えるだろう。


  流れゆく形代の名のをみなかな   中村三山




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