夏に向かう時期の節目として半夏生という暦注は、さまざまな伝承を生み出してきた。夏至から数えて十一日目をこのように呼ぶのだが、田植えの区切りであるとともに麦の収穫を終える時期でもあった。「半夏半作」と言い習わされてきたのは、この時期の農作業の遅れは秋の収穫に影響を与えるという長年の経験にもとづくのであろう。
香川県下で丁寧な民俗調査と研究とを重ねた細川敏太郎は、この暦注が節供に劣らないさまざまなハレの感覚を伴う節目であったことに注目している(「半夏生」『讃岐の民俗誌』、一九七二年)。それによると半夏生には、ハゲダンゴと称する小麦のダンゴを作ったり、うどんを食べて祝うことが行われていたという。四国のうどんと言えば、近年でも名高いが、民俗的には夏に向かう時期にどうしても食べなければならないものであったらしい。
細川は、半夏生だけではなく、土用の入りにもうどんを食べるという慣習について、これを食べておくと、夏病みしないと言われていることも指摘している。夏の激しい農作業に向けての栄養補給の意味合いもあったと思われる。さらに「半夏の毒流し」といって、半夏生には毒が降るといったいささか謎めいた伝承もあった。半夏生の前夜に井戸に蓋をしたり、南天の葉を投げ入れたりする習慣は、農作業の節目としての半夏生の行事を一層改まった敬虔な気持ちで迎えるためのものであったらしいと推測されている。
東京都から山梨県にかけても地域にも半夏生に関する伝承がさまざまに伝えられており、なかでも東京都檜原村では、「ハゲン爺さんという作物を作るのが大変上手な人がいたが、婆さんが弁当を畑に持って行くのを忘れたために畑で飢えて死んでしまった。」という話が残されている(増田昭子「檜原村の麦作り」『粟と稗の食文化』、一九九〇年)。暦上の節目の呼称が人名となっている点が面白い。作物を作るのが上手だというのは、農耕が長年の経験の積み重ねを活かすことによって発達してきたことを擬人化して表現しているのであろう。半夏生という暦注に「ハゲン爺さん」という老人のイメージが付与されていることも同じように説明できる。民俗文化における老人とは単に年老いた存在ではなく、長期間にわたる経験の代名詞なのであった。
関東での半夏生を老人のようにとらえる感覚と比較したくなるのが、岩手県北地方で広く知られていた南部絵暦の図柄である。これはかつては「めくら暦」と呼ばれ、文字を解さない人びとにも暦の知識を伝えるために絵や記号でさまざまな暦注を表現したものであるとされる。この中でも農事の区切りとして半夏生が取り入れられており、その図柄は禿頭の老人であった。半夏生をハンゲと略し、さらにハゲ即ち禿げにつなげたのである。南部絵暦はそうした機知や語呂合わせに満ちたものである。
みちのくの絵暦の中の老人と関東のハゲン爺さんとは偶然の一致かもしれないが、民俗文化の想像力とその背景を考える場合には立ち止まる価値のある伝承の暗合といえるだろう。
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