神々の歳時記     小池淳一
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2009年7月10日
【19】七夕と盆と星と

 七夕と盆と言うと、どのように受け取られるだろうか。全国的には、七夕は七月七日で、盆は八月というとらえ方が多いだろうか。東京では盆は七月だから、同じ月、それも一週間以内に連続する行事ということになる。一方、盆は八月の行事とする土地も多く、そうすると七夕とは一月以上、間隔があいてしまうことになる。八月七日を旧暦の盆だとすれば落ち着くかもしれないが、行事が続きすぎて気ぜわしい感じがする人も、今ではいるかもしれない。
 これらは、われわれの暮らしのなかに、旧暦と新暦とがいまだに混じり合っていることからくる混乱である。それは明治六年に施行された太陽暦と長年培ってきた季節感との折り合いがつかないままであることに起因する。ある地方では新暦をそのまま受け入れて、七月に七夕も盆も行うのに、他の地方では季節感を重視して機械的に一月遅れで、七夕も盆も八月の行事とする状態を生みだしているのである。
 民俗学では七夕は盆行事の始まりであるとされ、場所によっては、ナノカボンという言い方もあるように一連の行事としてとらえることが多い。正月と並ぶ年間の行事のなかでも重要な節目としてさまざまな、しきたりが残されている期間でもある。
 日本のみならず、世界中の星の神話や伝説を収集検討した野尻抱影は、幕末生まれの古老からこんな話を聞いている。「明治も十五、六年頃までは、玉川ぞいの村でも七夕を盛んにやったもンでさ。そして、あくる朝は、みんな笹竹を玉川に持ってって流すンで、そいつが川へひろがって、魚が逃げちまって、漁師が困ったもンでしたよ。…(中略)…下谷辺では不忍のへりに持ってって立てたンで、竹林みてえに見えました。それをまた持ってって、お盆の生霊棚の竹に売る商人がいたもんです。」(「悪星退散」『星と伝説』、一九七一年)
 東京でも七夕の笹竹流しが盛んに行われ、その竹が生霊棚、すなわち、盆棚に転用されていたことを鮮やかに示している。
 盆は先祖の霊魂を祀る時間であるとともに、貴重な休みの時間であり、楽しみの行事でもあった。京都府丹後の由良の海岸部では盆踊りの唄として「もはや踊りもやめようじゃないか/天の河原が西東」と歌われていた。この唄を聞いた磯貝勇は由良の浜辺で踊られる盆踊りの中で、夜空の天の川の移動で夜が更けたことを知る唄であると述べている(「丹波・丹後の星」『丹波の話』。一九五六年)。
 七夕に星を見上げてさまざまな言い伝えを思い出す感覚はそのまま、盆踊りの夜にまで続いていくことをうかがわせる。地上の暦の変転の一方で、夏空を見上げて星を観察する行為は昔からそれほど変わってはいないのかもしれない。


  天の川ながき手紙を書き終る  山口波津女




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