神々の歳時記     小池淳一
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2009年7月30日
【21】先祖との交流

 盆は先祖を迎え、祀る伝統的な行事であるが、その祀りかたは地域ごと、家ごとにさまざまである。
 「生身魂(いきみたま)」とか「生盆(いきぼん)」と呼ばれるのは、健在の親を饗応することで、仏事というよりも、長寿の祝いであり、家々の縁者たちが集まって和やかな時間を過ごす行事である。この時に食べる生魚を盆肴といい、鯖などがそれに当てられることが多い。
 盆に戸外で竈をしつらえて飯などを炊き、共同で飲食する風もかつては盛んであった。これを「盆竈(ぼんがま)」といい、地域によって「門飯(かどめし)」(三重県)、「御夏飯(おなつめし)」(愛媛県)、「川原飯」(静岡県)などさまざな名称があった。盆に祀る先祖や精霊を新たに作った竈を使ってもてなす意義があったのであろう。
 そうした先祖を迎え、もてなすやり方のなかでも興味深いのが「野回り」とか「作回り」あるいは「仏様の田回り」と呼ばれるものである。これは茨城県龍ヶ崎市とその近郊で、盆の十五日の早朝に家の主人が、天候に関係なく蓑笠を身につけ、杖を持って田畑を回り、稲の穂や芋、豆を採ってきて仏前に供えるしきたりである。この行事に注目した小川直之は、この時の一家の主人の姿は先祖霊の化身としての意味を持っていると指摘している(「稲作儀礼の構成と地域性」『地域民俗論の展開』、一九九三年)。
 ここには先祖から受け継いで耕している耕地を見せて、その様子を知ってもらうという心持ちがうかがわれる。家の継承という観点から盆の行事を考えていく手がかりにもなるだろう。同時に盆の行事が先祖を意識しつつ、屋内だけではなく、屋外もその重要な場としていたことにも注意しておくべきである。
 実は「野回り」は利根川流域の茨城・栃木・群馬・埼玉の平野部に広く伝承されており、千葉県内でも類似の習俗が確認されている。この行事の性格について広く検討した榎本直樹は、稲作に不可欠な田の水がかりの様子を夏の時期に気にする感覚が、こうした行事の根底にあることを示唆している(「盆における仏の野回り」『法政人類学』六一〜六二号、一九九四〜九五年)。とすると稲作という現実の生業活動から「野回り」という盆行事が生まれたことになる。ここでの先祖とは、子孫が汗を流す耕地にも想いを馳せてくれる存在として意識されているのだった。
 盆行事に表れる先祖は、生死の区別も、日常と祭事の違いも乗り越えて子孫とともにある、そんな存在である。そこに生活の積み重ねから生まれる民俗文化の特質が集約されているということができるだろう。


  畑中の石も灯るや魂祭   片野漱水




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