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【作品33】 |
2009/03/19 (第467回) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
八束の生前最後に発表したのは3組ある。一つは、「俳句研究」1998年1月号「草石蚕のいろ」十二句。二つ目は、「俳句朝日」1998年1月号「酔春星」七句。3つ目は、「俳句」1997年12月号「邯鄲の夢」51句。さて、どれが一番最後の作かは、有力な手がかりがなかった。質量及び取材内容から、句集では「邯鄲の夢」を最後に据えたが、八束はしっかり手帳などに書き残していたわけでもなかったから、推測の域はでない。それでも、たしかに「邯鄲の夢」の句を絶句にすることには、その代表句を含めて大方異論はないようだ。 さて、この第一のグループ十二句を引いてみよう。 切山椒笛の音聞こゆと話しをり 切山椒ほのむらさきを膝におく 二月礼者草石蚕(ちょろぎ)のいろに気付きをり 田作りやいくたび箸をおきてまた 夕澄みの群鶴の修羅見えにけり 初荷橇監獄脇を通りけり 吹越しや護岸工事の渓の音 謝肉祭の仮面の奥にひすいの眼 仮面つけ人を見てゐる謝肉祭 冬霧にガラス溶炉の火が噴けり 踏絵嚆矢(ふみゑかうし)の小日向に栖み冷奴 渦巻いてまくなぎの光(か)ゲみなぎれる 正月の句が出ているが、もちろん八束は十二月に入院したので、これらは入院前に出版社からの求めに応じて季節を先取りして詠んだもの。あまり冴えが見られない。謝肉祭の句はいつかの群作の補遺のようなもので、これもピリッとしない。時間に迫られてえいっと手放してしまったようなものだ。 これらの中で一句目に注目したのは、笛の音が聞こえてくるような新年のたたずまいを八束が心にとどめていたからである。浅草で求めてきた切山椒をつまみながら、どことやらから聞こえてくる笛の音を聞きとめようと、二人で耳を欹てている。すこし和らいだ中に淑気が通っている。 |
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『春風琴』平成9年作 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
(C)2007 Masami Sanuka | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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