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 朝の8時半ごろに「はとバス」で新宿を出発。昼前には富士山五合目に到着。
 ここで昼食をとり、装備のチェックや準備をして、いよいよ登山開始です。この日、朝の天気予報では関東は36度の猛暑日。富士山五合目の気温は22度でした。
 この日のツアーの人数は、私を入れて20名。平日ということもあったのかもしれませんが、今季最も少ない人数だと、山案内人が喜んでいました。1シーズンに、1~2日、エアポケットのような、こんな日があるそうです。
 メンバーは、20代前半の若い人から(どう見ても)70歳を過ぎていると思われる人まで、さまざまの年代の人がいました。
 ベテランの山案内人が先頭になり、歩くペースを作ります。我々がそれに従い、最後尾に「はとバス」の添乗員が付きます。山案内人は無線を携帯し、常に本部と無線連絡をとりながら先導してくれます。
 私が「はとバス」ツアーに決めたのは、初心者向けのコースが他に無かったことが最大の理由ですが、必ずベテランの山案内人が付く、という点も大きな決め手になりました。
 私にとって富士山は未知の領域です。何が起こるかわかりません。当時(10年前)携帯は山中では「圏外」になってしまい、全く使えませんでした。ベテランの山案内人はこの上もなく頼りになる存在でした。
 初心者ツアーということで、10分登っては5分休み、のくり返しで、実にゆっくりゆっくりと登ります。これは、体を山に慣れさせるためと、やがて七合目あたりから酸素が薄くなりはしめますので、その対策でもあります。高山病を防止するためには、ゆっくりと登ることが大切なのだそうです。

  
〔5合目のレストハウスと駐車場〕

 五合目では晴れていた空が突然曇り出し、厚い、重い、灰色の霧とも雲ともわからないものにおおわれました。「山の天気は急変する」という言葉が頭をよぎりました。しかし、山案内人は黙々と先頭を歩いています。
 六合目を過ぎて休憩している時、灰色におおわれた下方から鈴の音が響いてきました。やがて、姿を現したのは富士講の一行でした。白装束に身を包み「六根(ろっこん)清浄(しょうじょう)」と唱えながら進んで来ます。金剛杖の先に付けられた鈴が、杖をつくたびにいっせいに涼やかに鳴り響きます。
 一行は道のはしに坐りこんでいる我々に目礼すると、そのまま登って行きました。見送った時、白足袋の裏が土でまっ黒になっているのが印象的でした。富士講の人たちは白足袋で山頂まで登るのだそうです。
 「もうすぐ七合目ですよ」という山案内人の声にはげまされながら、同じペースでゆっくりと登ります。休みながらではあっても、全て登り坂なのですから、だんだんに疲れてきます。肩にはリュックの重みがしっかりとかかってきます。


〔富士講の人たち〕

 リュックの中味は(人によって量など違いはありますが)2日分の水(ペットボトル)、食料、着替え、レインコート、セーター、ヘッドランプ、スパッツ、ストック、手袋、タオル、(雨用の)リュックカバー、歯ブラシセット、などなど、必要最小限にまとめても10キロ以上、人によっては20キロ近くにもなります。
 私のリュックは例の店ですすめられた登山用のもの、肩に太いベルトがありますが、腰にも太いベルトがあり、背中に添うかたちになっています。中も二層に分かれていて、重い物を上に入れること、という店のアドバイスに従っています。重い物を上に入れ、肩と腰の太いベルトで支えることでうまく重みのかかり方を分散しています。肩紐だけの普段に使うリュックの人は大変です。しかも普通は重い物を下に入れますので、下方に重みがかかり、それを肩紐だけで持ちあげつつ、登り坂を登り続けることになります。私と同じ登山用のリュックの人はまだ余力がありそうに見えますが、普通のリュックの人の何人かはかなり苦しそうになってきました。
 「頑張りましょう」と山案内人が声を掛けます。


〔雲海〕

 やがて、あたり一面灰色に包まれていたのが、突然に青空になりました。まさしく、突然という感じでした。
 「うしろを見てください」と山案内人。
 ふり返った一同、思わず息をのみました。
 足元から、一面の雲海が広がっていました。それは、足を伸ばせば届きそうなほどの近さでした。
 灰色の霧とも何ともわからないものは雲海の中だったのです。
 一同、感動のあまり疲れも忘れて、しばし声もありませんでした。

 「出発します」の声に、また登りはじめました。
 登山道から横に目をやると、富士山特有のなだらかな稜線が見えます。登山道を()れてあの稜線を転げたならば、どこまでも落ちていきそうに見えます。
 七合目をすぎて、何となく酸素が薄くなりはじめました。
「ここからしばらく岩場です。自分のペースでゆっくりと登ってください」と山案内人。
 ここまでは整備された登山道ばかりでしたので、正直なところ「四つ足」で登る岩場は、内心うれしくもありました。しかし、先述した普通のリュックの人にとってはかなり苦しい道だったようです。3,4人がふらつきはじめていました。酸素が薄くなってきたことも疲れに拍車をかけているのでしょう。
 岩場を登る時に「軍手」を使いますが、必ず登山用の軍手を使用してください。普通の軍手ではすべり止めが付いていても手が抜ける危険があります。
 岩場の途中、下方から男性の大声が聞こえてきました。
 最初は何を言っているのかわかりませんでしたが、だんだんに近づいてきます。
 「すみません、すみません、道をお譲りください。母はもう先が長くありません。富士山を信仰しておりまして、死ぬ前に一度でよいから登りたいということで、兄弟で母を背負って登っております。すみません、すみません、道をお譲りください」……と。
 この日、普段よりも少ないとはいえ、我々のツアー以外にも登っている人は多数います。
 男性の大声に、それぞれに岩場のはしの方に身を寄せました。
 中年の男性二人に抱えられながら現れたのは、小学生ほどの小柄な老婆。富士講の白装束を身にまとい、もはや歩けないらしく、足は宙に浮いた状態で抱えられていました。まさに、命がけの登山です。
 老婆は道を譲る我々に手を合わせ、頭を下げながら抱えられて登って行きました。
 我々の中にも、酸素が薄くなってきてかなり苦しそうな人がいます。あの老婆が無事に山頂に着きますように、と祈るような気持ちで見送りました。
 まさに、富士山は霊峰、信仰の山です。


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