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 九合目に着くと霧ははれ、風が強くなり、手の届きそうなところに月が耿耿と照っていました。さらに気温は下がってきました。
 九合目の道のはしで休憩をしていると、まっ暗な下方から何やらザックザックと音がのぼってきました。だんだんに近づいてきます。
 山案内人が「山の方に寄ってくださ~い」と、大声で指示を出します。
 山にはりつくようにはしに寄ると、やがてまっ暗な中からまっ黒な集団が現れました。
 まっ黒な帽子、まっ黒なマント、まっ黒な靴。ザック、ザック、ザックと規則正しく無言で進んで来ます。数十人もいたでしょうか。頭を下げながら、足並みを揃えて無言のまま通り過ぎて行きました。
 山案内人が「あれは陸上自衛隊の人たちです。裾野にある富士演習場の訓練で、富士登山も訓練のひとつなのです」と説明してくれました。

 いよいよ山頂が見えてきました。
 はやる気持ちを押さえるように、しっかりと足を運びます。
 山頂到着午前4時20分。
 山頂の気温は3度でしたが、風がごうごうと吹きすさび、体感温度は0度以下でした。いっせいにリュックからセーターを取り出してレインコートの下に着ましたが、それでも寒い。
 ひとり、山頂にある小さな岩の上に立ってみました。
 見わたすかぎりの雲海で、山頂は雲海の中の孤島とも見えました。ごうごうと吹く風の中、月も星も冴えわたり、これほどの近くで見たことはありません。360度の星空は壮観でした。遠くに冬の星座が見えます。
 前日、五合目を出発した時と今との隔絶感。
 それは体験してみてくださいとしか言いようがありません。
 月光に洗われた火口は広く深く、落ちると八合目あたりまでの距離があるそうです。
 この日、ご来迎は4時45分頃でした。
 雲海の彼方、最初の光がさします。
 湧き上がる歓声と拍手。いっせいに拝みます。
 山頂の神社(富士浅間神社奥宮)の宮司さんも出てきて、大きく柏手(かしわで)を打って拝みます。それから、神社の前に立っている1本の柱のそばに行くと、その柱に付いている紐を引きました。すると、カラカラと音がして、なんと、日章旗が掲げられたのです。
 風の吹きすさぶ山頂ですので一階の屋根ていどの高さですが、それでも思いがけず日章旗を見て、拝む者、写真を撮る者などさまざまでした。
 山頂にも山小屋があり、ここで自由朝食。
 全て、八合目よりもさらに価格が上がっています。

  
〔山頂からのご来迎〕

 午前6時30分に下山開始ですが、大問題が発生。
 例の70歳すぎの男性が、必死に山頂までは登ったものの、力尽きたらしく、坐りこんだまま全く動けない状態。吹きすさぶ風と寒さでくちびるは紫色になり、チアノーゼ状態です。
 ご本人は「もう思い残すことは何もない、どうぞオレのことはここに棄てて出発してくれ」と。
 同行のご夫婦はオロオロしています。八合目の山小屋で登頂を止められなかった添乗員は頭を抱えています。若い人たちはほんの少し苛立っていました。「またあのジィさんかよ」と。
 山では「人間」が荷物になった時が最も大変です。
 山岳救助は、うかつに頼むと莫大な費用がかかります。
 山案内人、添乗員、ご夫婦で、あれこれと話し合っていましたが、結果、なんと「人力」で男性を山からおろすことになりました。
 まず、金剛杖を2本用意し、前に山案内人、うしろに添乗員が立ち、横にした金剛杖をそれぞれ左右両脇に抱えます。そのまん中に男性を摑まらせて担いで行くのです。
 平坦な道とは違いますので、これは大変な重労働です。しかも、転げて登山道から外(そ)れでもしたら命にかかわります。下り坂ですので、重みのかかる前の方は、特に大変です。
 男性の荷物はご夫婦が持ち、とにかく出発することになりました。

 このツアーでは登山道と下山道は別の道でした。下山道はひたすらジグザグの道で、細かい火山(れき)をザクザクと踏みながら下ります。しかし、たいへんに滑りやすく、しっかりと足を踏みしめないとズズ、ズズーッと滑ってバランスを崩しそうになります。
 この道を安全に下りるために、例の店のアドバイスで私が揃えた物は、しっかりした登山靴、細かい小石をよけるためのスパッツ。バランスが崩れないようにストックも使います。
 ツアーの説明書には「登山靴あるいはトレッキングシューズ」とあり、若い人の中には普通のスポーツ店などで買った、スニーカーに毛の生えた程度のトレッキングシューズを使っていました。その場合、(たけ)が短いために足首が固定されず、足をくじいたりします。また、小石が靴の中に入りやすく、たびたび靴を脱いで小石を出していました。
 このような道を人を担いで下りるのですから大変です。
 やがて添乗員の方が「もうダメ」と崩れるように坐りこんでしまいました。ご夫婦の男性の方が添乗員と交替しました。しかし、それまでも、その男性の分まで荷物を背負っていたのですから、あまり長い時間はもたず、まもなく坐りこんでしまいました。
 ついに、若い人たちが率先して声をあげ、男性全員が交替で担ぐことになりました。
 もちろん、下山も休憩をとりながらゆっくりと進みます。
 途中まで来た時、下方からガーゴ、ガーゴと大きなキャタピラの車が登ってきました。
 それは、点在する山小屋に人と物資を届けるために、富士山の山小屋が共同で傭っている車でした。人を運ぶための座席も付いています。山案内人の説明によれば、「山小屋でアルバイトをしている学生たちで、ちゃんと自分の足で登ってきた者はいませんよ。皆、あれで運んでもらうのです」と。
 担がれていた男性が「あ、あれ、あれ。あれでオレも下へおろしてくれ!」とわめきました。
 山案内人が、「現金を持っていますか。山は現金払いですよ。特殊な車ですから、個人で頼むと30万円以上かかりますが。」と。
 そんな現金を持って登山する人はいません。男性はガックリと肩を落としてしまいました。しかし、本当にガックリしたのは交替で担いでいた男性たちでした。


〔富士山のキャタピラ車〕

 山頂に近くなるほどに「物」の価格があがるのは、こうした特殊な車での、人や物資の運搬代がかかるためでした。


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